1928 父悠、母茂代の次男として、石川県に生まれる。
父はこの年、北国毎日新聞社(現在の北国新聞社)の主筆に迎えられている
1946 金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)予科に入学、洋画を専攻する
宮本三郎に師事
1948 第2回二紀展に《青いリボン》を出品、初入選する(第13回まで出品)
1949 父悠が金沢市の自宅で逝去する
第3回二紀展に《赤い日まわり》《赤い裸婦》が入選、褒状を受賞、二紀会同人に推挙される
1950 金沢美術工芸専門学校洋画専攻科卒業
上京し、乃村工芸社に入社、看板絵などを制作する
1951 乃村工芸社を退社、母と姉の住む大阪に戻る
1952 田中千代服装学園の講師となる
1954 第8回二紀展に《空気の層》《あるく》を出品、同人努力賞を受賞する
1956 鴨居玲・若林和男二人展を銀座で開催、引き続き大阪・阪急百貨店でも開催する
1957 この頃から10年間ほど、油彩による制作に行き詰まり、パステル、グワッシュなどによる制作が続く
1958 第12回二紀展にパステル画《腕時計》ほか4点を出品、同人賞を受賞する
神戸市生田区に転居する
1959 神戸新聞文化センターで個展を開催する
芦屋市東芦屋市に転居する
最初の渡欧。油彩の制作は思うに任せず焦燥の時を過ごす
1961 パリで開かれた青年美術家展に出品、入選する
秋、パリから帰国、神戸に画室を持つ
この年二紀会を退会する
1962 第5回現代日本美術展・コンクール部門に水彩《月と魚》を出品、入選する
第6回シェル美術賞展に《蠢(B)》が入選、佳作賞を受賞する
1965 制作に行き詰まり、ブラジルに渡る。
サンパウロ、ボリビア、ペルーを流浪し、パリに渡り、パリ市6区グランド・ショミエールにアトリエを持つ
1966 ル・サロンに出品、褒状を受賞する
ローマに滞在後、帰国する
1967 第21回二紀展に一般公募者として《静止した刻B》《静止した刻A》を出品、入選して再び同人に推挙される(第32回まで度々出品)
1968 日動画廊ではじめての個展、大阪日動画廊で《静止した刻》などを発表する(以降、日動画廊で度々個展を開催する)
二紀会選抜100人に出品、100人展賞を受賞する
1969 第4回昭和会展に《ふりかえる》《かるた》を出品、《ふりかえる》が優秀賞を受賞する
第12回安井賞展に《静止した刻》を出品、安井賞を受賞。東京国立近代美術館に購入される
パリに旅行する。この頃から教会を題材とする制作が始まる
1971 スペイン、マドリードのアパートに画室を定める。その後、ラ・マンチャ地方バルデペーニャスに画室を持つ
1972 母茂代が芦屋市で逝去する
1973 第27回二紀展に《私の話を聞いてくれ》《廃兵》を出品、文部大臣賞を受賞する
1974 パリで最初の個展が、パリ、日動画廊で開催され、《踊り候え》など油彩13点と素描5点の新作を発表する
1975 アメリカでの最初の個展が、ニューヨークのハマーギャラリーで開催され、ニューヨークに赴く
1977 パリから帰国
神戸市東灘区甲南町に画室を持つ
第20回安井賞の選考委員となる
二紀会委員となる
1978 第32回二紀展に《教会(A)》《教会(B)》を出品、最後の二紀展出品作となる
1979 神戸市茸合区熊内町に画室を持つ
1982 二紀会を再び退会する
1984 金沢美術工芸大学の非常勤講師として、集中講義を行う
兵庫県から兵庫県文化賞を受賞する
1985 『鴨居玲画集-夢候』が刊行される
神戸市の自宅で急逝する。
2013 第2回昭和会展受賞作家選抜展(日動画廊/名古屋)
2022 鴨居玲展(日動画廊/東京)