1901 1月24日大阪市に生まれる。本名浅井實
1919 上京して本郷洋画研究所に学ぶ
1920 父繁熊広島で逝去、家督を相続する
1926 二科展で《廃園に於て》が初入選する(1930年まで出品)
このころから"朝井閑右衛門"と号する
1934 光風会で《素描する人》が入選する(1938年まで出品)
第15回帝展で《目刺のある静物》が入選する
1935 第二部会第一回展覧会に《考古学者と其家族》が入選、文化賞特選となる
1936 このころから通称"練馬のアトリエ長屋"に住むようになる
文展で大作《丘の上》が文部大臣賞を受賞する
1937 光風会会員となる
日本大学専門部芸術科の油彩画講師となる(〜1943)
戦中はたびたび中国へ赴き戦争画や肖像画を描く
1939 第一回聖戦美術展に《楊家宅望楼上の松井最高指揮官》を出品(招待無鑑査)する
1941 上海画廊で油絵個展が開催され《上海バンド》《蘇州風景》などを出品する
永富花子と結婚する
1942 大森にアトリエを構える
長女祐子が誕生、2年後に二女三喜が生まれる
1945 疎開した妻子と別れ、単身上海に赴き、終戦を迎える
1946 上海から引き揚げ船で帰国
1947 光風会から離れ、井出宣通、大河内信敬、川端実、須田剋太らと新樹会を結成
横須賀市田浦に転居する
1950 日展審査員となるが不出品
光風会を退会する
1952 日本国際美術展に出品、以降1959まで不定期に出品
1954 現代日本美術展に出品、以降1960まで不定期に出品
1962 国際形象展が組織され、同人に推挙される。以降1981まで不定期に出品
1966 鎌倉市由比ヶ浜に転居する
1976 新樹会解散
1983 死去。享年82歳
2012 第51回 ミニヨン展(日動画廊/東京)