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A・ルノワール
Pierre-Auguste Renoir
作品
プロフィール
1841 フランス中南部のリモージュの貧しい仕立て屋に生まれる
1844 一家でパリに移る
1854 13歳で磁器工場に入り、1958年まで磁器の絵付職人の見習いとなる
1860 ルーヴル美術館でルーベンス、ブーシェ、フラゴナールなど宮廷絵画(主に18世紀ロココ様式)の研究と模写をおこなう
1861 画家シャルル・グレールのアトリエに入門、クロード・モネやアルフレッド・シスレーら、のちの印象派の画家たちと知り 合う
1862 エコール・デ・ボザールに入学
1864 《エスメラルダ》をサロンに出品し、初入選
1868 カフェ・ゲルボワで印象派の先駆者エドゥアール・マネやエドガー・ドガと出会う
1869 モネとともに印象派の技法を採用する
1873 「無名の画家・彫刻家・版画家協会」の集会に参加
1874 パリ、キャプシーヌ大通りの写真家ナダールのアトリエで開催された「無名の画家・彫刻家・版画家協会」の最初の展覧会
(第1回印象派展)に参加。《桟敷》など7点を出品
1876 第2回印象派展に油彩画15点を出品
1877 第3回印象派展に油彩画21点を出品
1879 サロンに《シャルパンティエ夫人と娘たち》他3点を出品、好評を得る
1880 肖像画の注文を受け意欲的に制作する
《舟遊びをする人たちの昼食をと
る人たち》の制作を始める
1881 画商デュラン=リュエルが定額で作品の購入を始める
アルジェとイタリアを旅行、ラフ
ァエロのフレスコ画とポンペイの壁画に感銘を受け、古典的技法に回帰し「アングルの時代」に移行
1882 第7回印象派展の出品を断るが、デュラン=リュエルが自身所有のルノワール25点を出品
1883 デュラン=リュエル画廊で作品数70点の大個展を開催する
1885 アリーヌ・シャルゴとの間に長男ピエールが生まれる
1886 ニューヨークでデュラン=リュエルの企画による印象派展に38点が出品される
1888 この頃、「アングルの時代」を経て元の作風に戻る。
リュウマチ性関節炎を患い、以後
発作に苦しむ
1890 アリーヌと正式に結婚する
《ピアノの前の娘たち》をサロン
に出品、サロン最後の出品作となる
1892 デュラン=リュエル画廊で作品数110点の大回顧展を開催する
1894 アリーヌの従妹ガブリエル・ルナールが家政婦として雇われ、以後20年間一家と共に暮らす。
9月15日、次男ジャンが生まれる
1898 シャンパーヌ地方エソワに家を購入する
1900 レジョン・ドヌ―ル五等勲章を受章する
1901 8月4日、三男クロード(通称ココ)が生まれる
1908 南仏カーニュ・シュール・メールのコレットに家を新築する
1910 ヴェネチアビアンナーレで作品37点の回顧展が開催される
1911 レジョン・ドヌ―ル四等勲章を受章する
1912 リュウマチで身体の自由を失うが、以降も制作を続ける
1913 ヴォラ―ルのすすめで彫刻をはじめる
1915 妻アリーヌ、56歳で死去。エソワの墓地に埋葬される
1919 レジョン・ドヌ―ル三等勲章を受章
12月3日、肺充血によりコレットで
死去(享年78歳)エソワの墓地に埋葬される
展覧会
2014 第43回現代洋画展(日動画廊/福岡)